べてるの家に見学に行ってきました!

10月23〜24日の2日間。

北海道、浦河町にあるべてるの家に見学に行ってきました!

 

べてるの家は、1984年に設立された精神障がい等をかかえた当事者の地域活動拠点です。

https://urakawa.bethel-net.jp

10月23日、24日の2日間、当事者研究や実際の作業場などの見学をさせていただきました。

実際に見学することで、書籍やDVDからは得られない学びや気づきを得られました。

べてるの家の皆様、コーディネートしてくださった皆様、本当にありがとうございました。

新たな発見だけではなく、私たちが精神科訪問看護の実践の中で大切にしているケアにも通じることも多く、それを当事者研究の中での表現として体験できたのは大きかったのではないかと思います。

今回、その見学ツアーに参加したスタッフ2名の学びと感想を紹介させていただきます!

当事者研究は、利用者さんや病気の人のものではなく、私自身にも必要だ

2015年にみのりに入職した頃、どうしたら、利用者さんの病気を少しでも軽減できるのか?私の役割ってなに?と悩んだことがあり、そんな時に読んだ本が、ありました。

「ゆるゆるスローなべてるの家」大月書店(p134〜)

https://amzn.asia/d/e9aSZ8W

の著書の中で、「病気の苦労」と「生活の苦労」がシーソーに乗っている絵を見て「これだ!」と思ったことを今でも覚えています。

どちらも苦労には、変わりはないけど「生活の苦労」が増えるに従って生活の苦労のシーソーが傾き、「病気の苦労」の方が相対的に軽くなって、上に上がっていく。

「生活の苦労」の中には、生活の営みや人との関係性も含まれます。「病気の苦労」をしている利用者さんを見て、病気(症状)の苦労そのものより、人との関係で苦労が絶えない、人との関係性がうまくいかないことが、多いことに気がつきました。このことが、「生活を困難にする状況」につながっていました。

その当時、みのりの勉強会でもよく教えられていたことでしたが、実際は、頭の中に落とし込めず、このシーソーの絵を見て、すっきりしたのを覚えています。

それから、べてるの家に興味関心を寄せて、著書を読んだり、機会があれば、横浜で行われている当事者研究に参加させて頂きました。「いつか、北海道に行って、過疎地域で何もないところから始まった、当事者研究やリアルべてるの家に行きたい!」とイメージをしていたところ、統括からの発信もあり、この度、参加させていただく運びとなりました。

当事者研究は、べてるの家の理念にもあるように「苦労」や「経験」を持ち寄り、苦労の中身を明らかにしていく中で、お互いに考えていることを出し合い、「ことばにして伝えあう」ことを皆さんで、行っていました。

「苦労」や「経験」をみんなで眺めて、分かち合うことで、より、たくさんの知恵や新しい気づきに出会えるきっかけとなったり、新しい自分の助け方や自分への理解を深める場になっていました。

訪問看護の場面も同じことが、行われていますが、当事者研究では、「仲間と集う」ことで、よりたくさんの知恵がもたらされ「それに備える」ことを研究してみる、実践して、また持ち寄って分かち合うことで、生活を困難にしている「苦労」や「経験」が、実は、とても大切な問題で、よりよく生きていく上で、大切な研究の材料であることを再認識しました。

「研究」で、生活を困難にしている「苦労」や「経験」を外在化することで、人と問題を分けて考えることができます。

つまり、「自分に何が、起きているかわかれば、人は対処できる、それに備えることができる」と改めて学びを深めることができました。

シーソーの絵を思い出すと、「病気の苦労」と「生活の苦労」の間にあるのは、自分自身です。生きていく上で、「病気の苦労」と「生活の苦労」は、なくせません。バランスを保つのは、自分自身なのです。

自分自身を助けて、バランスをよくする(それに備える)ためには、新しい自分の助け方や自分への理解を深めることが大切になってきます。自分が、自分のことをどう捉えているか?自分では、自分について気がつける範囲も狭く、やはり生活の営みや人との関係性の中で、つまづいたり、生きづらさを感じたり、行き詰まったりして気がつける、つまり「生活の苦労」を大きくする必要があると思いました。

私自身も人との関係において行き詰まりが多いです。不完全だし、相手とうまくいかないことも多いです。病気の苦労といえば、「ありがとうって言ってもらいたい」「いつも相手が、私のことを〇〇に思ってるに違いない」「やっぱり自分が、悪いんだ」「役に立ちたい、教えてあげないと」「私がやらないと」と常に考えて、捉われて、眠れなくなる症状があります。

べてるの家で当事者研究を見て、自分のシーソーの絵の状態を思い出して、「これで、順調なんだ」悪いものんじゃない、症状を軽くして、生活の苦労とのバランスを保つには、シーソーの真ん中にある自分自身を見つめ直すしかない、そうか研究してみよう!と思いました。

不思議と力が抜けて、自分のこだわりや捉われが、べてるの家ツアーの最中に軽くなりました。

「苦労」がない人もいません。

お互いに生活の苦労や生きづらさを職場でも、ことばにできたら、持ち寄れたら、語り合えたる場になれば、研究できれば、もっといいのになと思いました。

当事者研究は、利用者や病気の人のものではなく、私自身にも必要だと気づきがありました。私は、生きづらくなると輪の中から飛び出したい気持ちになります。自分の中に閉じこもり感情を感じないようにシャットアウトさせるクライシス状態になります。

「自分の生きづらさや活かしずらさ」は、対人関係の営みの中でしか、気がつけないのだと思います。

「うまくやること」「やり過ごすこと」ではなく、生活の変化、困りごとや問題とされることが、自分の身に起きた時に仲間の力を借りながら、問題を明らかにして、ことばにして、新しい知恵や勇気をもらい、取り込んで、実践していくことで、「自分の生きづらさや自分の活かしずらさ」は、軽減されると思いました。

まずは、自分の弱さ、人には、知られたくない部分をもう一度見つめ直すことからが、はじめよう、大切にしようと思いました。

べてるの家では、自己病名をつけて、自分を表現します。

べてるの家にいく前、最中、帰ってきた後もずっと自分の病名を考えていました。やはり、自分の弱さ、人には、知られたくない部分を見つめ直す作業は、困難を極めました。薄々知ってはいるけど、ことばにできない、したくないのです。すごい抵抗が起きました。そこで、家族にも手伝ってもらい、私の病名の核となる部分を教えてもらい話し合いました。そんな中で自分の中ですとんと落ちた私の自己病名は、

「承認欲求高い系、私を見て見て!嫌になると自分の殻に閉じこもり、積み上げたものをぶっ壊す爆発タイプ」(笑い🤭😆)

こんな私と折り合いをつけるために人生をかけて、54歳になった今も、爆発しながら、歩み続けています。これからは、自分の中から湧き起こる抵抗を感じつつ、自分の弱さと向き合いながら、自分自身を面白がって、仲間と研究していきたいと思います。

こうすることで、私の中で、最も低い自尊感情(自分を大切にする気持ち、自分が好きと思える気持ち)を上げることに成功し、人への信頼感や愛着が上がり、人と自分との間に折り合いやバランスがつけるのだと思いました。

この先、私のシーソーが、ゆらゆらぐらぐらしても、自分の症状を研究することで、安定していい感じの私が保てるのではないかと考えています。べてるの家に行く前は、クライシスな状況でしたが、WRAPでいう、クライシスを脱した合図は、自分から、輪の中に話の中に入るです。どうやら少しずつ氷が溶けてきたようです。

ご一緒させて頂いた皆さん、お休み中にみのりのお仕事を頑張ってしてくれていた、全国のみのりチームの皆さんに感謝したいと思います。そして、この先、きっと「べてるの家ツアー」がみのりで組まれる時には、当事者研究に身をおく体験をお勧めしたいです!!

朝一番に襟裳岬から、観る朝陽は、荷物を下ろせた自分への最高のご褒美になりました!ピーマンアイスに仰天し、刺身が美味かった〜!

【まとめ】

「自分を知る」ということは、自分のことを理解することが、1番難しいと理解すること。相手を通して、ことばにして伝え合うをことで、自分とも対話し、自分を知ることにつながっていく。

問題を解決していくことが、自立支援だと思っていましたが、生活の苦労、問題、困難な状況を一旦外に出して、眺める、研究、実践をしたあとの変化を共有することが、自立支援であり、自分支援にもつながっていました。

これからは、当事者研究のように、生活の苦労、問題、困難な状況を研究の材料と考えて、深刻になりすぎないように周りの人たちと面白がりながら「研究」始めたいと思います。

「にもかかわらず」「人とコト(問題)を分ける」の2つの学び

⭐︎みのりの理念と関連して1つ、自分自身の体験として1つ、合わせて2つにフォーカスして感想をお伝えしたいと思います。

みのりに2つある理念のうちの一つ目に「私たちは笑顔を大切にします」という言葉があります。

べてるの家にも、当事者の皆さんによる当事者研究で、無数の大切にしている言葉が生まれています。

その中の一つに、見学先の張り紙や、今回いただいた『苦労を希望に変える当事者研究〜理念編〜』という冊子に「笑う力〜ユーモアの大切さ」という言葉があります。

冊子から引用しますが、ユーモアとは「にもかかわらず 笑うこと」と書かれています。

私には、なんだか、みのりの理念と重なっているように感じられました。

さて、今回、べてるの家で見学させて頂いた当事者研究の話です。

とある男女2名の相談場面で、お二人とも当初は非常に緊張感を伴っている様子でした。

向谷地先生が「何か相談があるんだよね?」と、マイクを向けた男性は表情硬く、首を横に振り「ない」と繰り返していました。(実際には前日、相当に不調だった様子が、朝のスタッフMTGで聞かれていました)

しかし、参加者からの言葉や、もう1人の女性による相談の言葉で不思議と笑いが生まれ、男性の表情も柔らかくなり話が聞かれるようになっていきました。

当日の当事者研究では、相談事の何かが劇的に改善するということはなかったです。

むしろ、堂々巡りのように最後まで話される内容に変わりはありませんでした。

「にもかかわらず」表情は朗らかさがあり、いつものその人らしさを感じさせる言動になってるように、私には感じられました。

私が病院時代のデイケアで担当していたSSTでは、話をしてる人に対して笑い声をあげたり、ユーモアを持って思ったことを伝えるという場面はありませんでした(もしかしたらスタッフが許さなかったのかもしれないですね、、、)

またAA(アルコホーリクス・アノニマス)などには「言いっぱなし、聞きっぱなし」という原則(自分の番以外は静かに聞いている)があります。

良し悪しではありませんが、べてるの家の当事者研究との大きな違いを感じた部分であり、ユーモアの大切さを改めて実感しました。

2つ目ですが、私がみのりから学び、感覚でもよくよく体感している、べてるの家の理念がありました。

「人とコト(問題)を分ける」という言葉です。

分けることで「問題のある○○さん」から「問題を抱えて苦労している○○さん」になると、冊子では書かれています。

私は境界性パーソナリティ障害(BPD)のある利用者さんの訪問に入る時に「その人と症状を分けて考えること」を特に大切にしています。

BPDのある方は、不安定な気分や対人コミュニケーションの困難さから、しばしば感情の爆発ともいえる攻撃的な言動を見せることがあります。

現在みのりに入職して4年目ですが、それらに関して症状としてアセスメントができるようになってきました。

そうすることで、大声に傷ついた自分という感覚は小さくなり(ゼロにはならない笑)

「症状が強く出るくらい調子が悪いんだな。何かイレギュラーが起きてないだろうか?セルフケアはどうなっているんだろう?」と、訪問看護スタッフとしての自分に立ち戻りやすくなったのです。

今後は、言葉の使い方として、症状ではなく苦労という言葉を使ってみようかな?と考えてみます。

利用者さんはどう受け取るのか、使った自分はどう感じるのか。見学したことを自身のケアに活用していきます。